5月8日「枯木寒巖に倚る、三冬暖気無し」と云い放って美人のお手伝いの若い女性を撥ね除けた様子を襖を薄目に開けて隣りの部屋から覗いていたお婆さんは、飛び出して来て僧侶を口ぎたなく罵って外へ追い出しただけでは足りず、邸中に塩を撤いて清めたのですが、 それでも足りずに家に火を放って燃やして終ったのです。 実は、このお話しはこれで完って居ります。 お経の中では縷々こう云う手法で話しは進められて居ります。 おシャカ様が公案を出す章が終ると、次の章でお弟子さんが「わたくしはおシャカ様の仰言ったことを、このように理解いたしました」とお応えするのです。 このお話しは私達に突き付けられた公案です。 ですからわたくしが答えを出さなければなりません。凡庸な考えしか持たないわたくしは「若いのに何と立派な、これぞ僧侶の鑑である」と思っています。若い女性に寄りかかられて「ネエ、わたしをどう思う」なんて云われたら、途端にグニャグニャになってしまうこと請け合いです。 こんな毅然たる態度をとるなんて全然自信がありません。 だからこのお坊様は立派だ、僧侶の鑑だ、と思うのです。 然し、この公案を出した主の期待した答は別にある様です。 わたしは、日蓮宗の総本山の身延山で行なわれた仏教伝導協会主催の研修会に講師として招ばれた時にこの話を紹介した後で、結論として次のように答えを出しました。 お婆さんは、若いお坊さまが今、眼の前に居る美しいお手伝いさんの、若くて美しいも見えない者に、ひとの醜さも、ひとの真の清らかさも、世の中の正しいことも、世の中の邪しまなことも分らぬ、 似せ坊主だ、と見抜いたのです。 こう講話を結んだ時、仏教各宗派から集まった百名程のお坊さまから一斉に拍手が沸き起こりました。 この一部始終は月刊誌「大法輪」に掲載され、おそれ多くも翌年の仏教伝導教会賞の詮衡委員に指名されてしまいました。 わたくしは、だから青々と頭を剃り上げてやたらとひとを見ては合掌しまくるお坊さんを売り物にして居る今の大部分のお坊様は嫌いです。 真了寺を訪ねて下さい。頭髪はだらしなく伸び放題で櫛も当てた風もなく、何日洗濯したかも判らないジャージを汚く着込んだ老人が急しげに竹箒を使って居る姿が見られたら、それがわたくしです。 この稿で住職の自己紹介を終ります。 |
3月24日女中さんは年令三十才で色白で眉目秀麗「楊貴妃も斯くや」と思われる程の美形でした。 この美人が薄っすらと化粧をしておもてなしのために他所行きの上等の着衣を纏った姿で 若いお坊さまの為に足濯ぎの桶に水を汲んで長路の歩行で汚れた両足を甲斐がいしく洗って 拭いて、そして家に上っていただいてお仏間に案内してご回向をお願いしました。 流石に毎日のご修行で鍛えられた若いお坊さまは立居振舞と云い、勤経の音声と云い、 例えようもない立派なものでした。 仏間の襖をへだてた隣りの部屋では、お婆さんと娘さんが少し開けたすき間から見て、 感心しながら手を合せてご主人十三回忌に当ってのご冥福を祈っていました。 やがてのことに読経の声が止むと女中さんはお供えした心を尽したお料理の全部をお坊さんの 前に並べて「このお料理は全て家族が主人のつれあいの法事のために四方を探ねて食材を求め、 三日の日を掛けて料理したものです。どうか召し上っていただくように、と云いつかっております のでお口に合うか、どうか判りませんがご供養のためですから箸をお付け下さい」とすすめました。 お坊さまは大層喜んで心のこもった料理を一箸ひとはし口に運びながら美人の女中さんの話に 合槌を打ったり、毎日の修行の話をきかれるままに話したりしておりました。 美味なお料理が半ば腹中におさまった頃は若いお坊さまと、美形の女中さんは余程打ち解けて談笑する 迄になりましたが、この時女中さんは耳打ちされた。ご主人の云い付けに従って、若いお坊さんにもたれかかって甘い声で「ネエ、このわたしをどう 思う」と誘ったのでした。 この行為を受け、声を耳にした若い修行中の立派なお坊さまは、女中さんの身体を押しのけると スックと立ち上って言い放ちました。 その言葉が冒頭に掲げた「枯木寒巖に倚る、三冬暖気なし」でした。如何に装っても私の目には あなたは枯れ木にしか見えません、修行精進している私の身に迫っても、私の心を動かすことは 出来ません。とドーンと突き放したのでした。 さあ、それを隣室から凝視して居たお婆さんは何としたでしょうか。 矢庭に襖を激しく開けたお婆さんは「こんな穢らわしい坊主とは思わなかった、一刻も早くこの 家から退散して下さい」と怒鳴ると戸外に追い出しました。坊さまの姿がなくなると、大量の 塩を撤いて家を清めましたが、それでも足りずに、その家に火を放って焼いてしまった、 のでした。これが仏語の「倚枯木寒厳、無三冬暖気」の物語りです。 |
2月18日三度目の「お坊さま、おねがいがあります」と声を掛けようと、その声が喉まで出かかった時、 通り過ぎてしまわれるのかと思った若いお坊さまは歩を止めて「何かご用でしょうか?」と涼しい声をかけて給れました。 お婆さんは掌を合わせた侭お願いの向きを申しました。 「実は私のつれあいの十三回忌の命日が明後日ですが、 ご面倒でも隣り街の我が家にお出で下さってお経をあげて頂きたいのです」と、至誠を顔にあらわしてお願いしました。 実はお婆さんには一粒だねの娘が居り、家事手伝いの女中さんと三人暮らしでした。戻ってきて二人を招んで 「明後日のお父様の十三回忌には立派なお坊さまがお出でになってご回向を賜わるのだから、 充分の御供養をさせていただかなければならない」と告げて、早速準備にとり掛りました。 勿論、殺生戒にふれる動物の肉や魚や、ニラ・ニンニクの類は避けて、清浄野菜で数々のお料理を造り、 餅米を石臼で挽いて、シン粉にして中に餡を入れて蒸し団子にして等々、 家の三人の女性が心をこめて料理が出来上ったのが丁度三日目の当日でした。 ご馳走の全てをお皿に乗せたり、お椀に盛ったりしてお仏壇の供え机の上に並べ終えると、 お婆さんは女中さんに云い付けました。 「もう間もなく立派なお防さまがみえるでしょう。そうしたら私は娘と隣りの部屋に隠れますから“主人は急な用事が出来て隣りの街まで出掛けましたので宜しくお願い致します” と云うのですよ」と伝えて、更に女中さんの耳許で何かささやいて隣りの部屋へ一人娘と移ってしまいました。 間もなくのこと、青々と剃除して、真っ白な清潔な着物の上に墨染の法衣を着けた若い立派なお防さまが、 この家の玄関の戸を開けて、来意を告げました。 女中さんはかねての云い付け通り 「主人はお坊さまに来ていただくのをそれはもう楽しみして居られましたが、実は急な大切な御用が出来まして、 隣り街まで出掛けました。そんなわけで施主の主人が不在でまことに申し訳もございませんが、 留守中にお坊さまがお見えになるから十三回忌のご回向は是非お願いするように、 と伺っておりますので宜しくお願い申し上げます」と鄭重に申しました。 |
12月7日その若いお坊さまの”いでたち”は、と見てあれば深編傘を冠り、 手甲に脚絆を付け晒の白衣の上に墨染の法衣を一着におよび、そしてその上に茶色の袈裟を付けて行脚して居ります。 偶に汗を拭くとかで編傘を除った様子は今しがたカミソリを当てたばかりの青々とした涼しげな頭の下にははち切れんばかりの意思の強そうな顔がありました。 胸の辺りには頭陀袋が掛けられていて、惚れ惚れする程の様子です。 この坊様が朝の三時に起きて水垢離をして、家の仏前で長時間お経を読み終ってご来光がしらじらと周囲も明るく照らし始めると街中に出て各家々の門前に立って、その家の幸運を祈って歩くのです。 終日この修行が終わって街の火灯に近くなると我が家に戻って夜のお経を長々と唱えて十一時に夜の水垢離を浴びて床につくのです。 こんなハンで捺いた様な生活が、もう随分永いこと続いて居るわけですから、街のひと達は最初は変った坊様も居たものだ、ぐらいに思って居ましたが其のうち、此の頃は、何と立派な坊様が、と噂をし合うようになり、中にはそのお姿を遠くに認めると手を合わせて礼拝するひとさえ現われました。 日を追って尊敬を集めた坊様が我が家の門前に立ってお経を唱えた時、丁度のその豪の父親が亡くなった日であったり、愛子が命日に当ったりしたお宅では、特にお願いして家に請じ入れてお経を上げて貰う等し云うことにもなって来ました。 或る家では「今日は母様に逝去日(たちび)であるから」とわざわざ前日に市に行って購めた食材でお精進の料理を作り、ご回向の後、若い坊様に召し上っていただいて、「これで孝養が果たせた」とこころから喜んでいるひとが後を絶たなくなりました。 評判はこの街の全部に及んで、尊崇を集める程になりました。ところで隣りの町に信仰熱心なお婆さんの一軒の舎がありました。 何かの用でこの街を訪ねた時お坊様の感心な話を耳にして「どうぞ私もそのお坊様の徳に接し度い」と強く覚えまして、幾日かを経ました。 日を重ねるごとに思いは増して、もう我慢し切れなくなって、再び隣町を訪うて或る街角で朝早くから待って居ると行脚の僧形が高声でお経を唱えながら此方へ歩を進めて来られて、合掌して居るお婆さんの姿を認めるとお坊様は軽く目礼して行き過ぎようとしましたので、「お坊さま、お坊さま」と二度声をかけました。 お経を読むのに集中して居たお坊様でしたが二度目の呼びかけははっきりと聞こえて、歩くのを止めてお婆さんの方に顔を向けまして「何かご用でしょうか」と問い掛けました。 |
11月9日一昨年の九月から、このブログを書き出して「我が城南ペット霊園が永く続く限り、オーナーの拙の命の続く限り、所懐を書き連ねよう」 と思ったものですから、ならば先ず筆者の自己紹介から始めようとして、気がついてみたら二ヶ年余り、色々のことを思い付く侭につづって参りました。 わたくしの容貌に始まって、その為の失敗談、昔の葬儀のこと、今の葬儀事情等など、読者の皆さんには大まかな所、筆者のひととなりを想像いただけたことと思います。 この先永く書き続けることですから、まだ沢山の事を云いたいのですが、そのことは永く続く他日に譲って、ブログの昇頭に掲げた仏語の説明に移ろうと思います。 実は今迄の記事はこれから書こうとする序文のようなものでした。 今では七十三才は未だ老人の仲間には入れてもらえませんが、二十年ほど前は「人生七十年いにしえ稀」と謂われて立派な年寄りで盛大な「古希」のお祝いをして貰ってたりしたものです。 実際、このお寺の過去帳を見ると七十才を過ぎて亡くなったひとには「永生きしました」の表現のお戒名が付けられて居るのが見受けられます。 いづれにしても、そんな年令になって見て、お坊さんの息子としてこの世に生を享けて自分も僧侶の道を志ざして一途に行きて来たかを顧ると、全く最初に紹介した仏語の十字に尽きると思うのです。 わたくしはこの語に生き、これからもこの仏語をいましめとして生き続け様と決意を新たにしております。 扨て、その仏語「倚枯木寒巌、三冬無暖気」とは、「枯木寒巌に倚する、三冬暖気無し」とお訓みします。 譯すると、「枯れた木が冷え切った岩に寄り掛った状態は、一年中で一番冷え切った極寒を見る如きで、何の温たか味も感じない」と筆者は読んで居ります。 それに付きわたしの理解を譬え話でご紹介いたします。 或るところに若くて、ハンサムで修行熱心な一人のお坊さんが居りました。 彼は夜中の三時に起きると浄水で身を清め、日の出る迄の間ご本尊にお経を誦げ、ドンブリ一杯だけのお粥に三きれの沢庵漬け、お味噌汁を腹中にし終ると、墨染めの法衣に身を包んで街中に出て、一軒一軒門付けをして祈願文を唱えて廻りました。 「このお宅に災厄が起きませんように、今日この家に吉運が訪ずれますように」と、日がな一日中廻って日が暮れ掛ると庵室に戻って、復た浄水で身を清めて朝食と同様の粗食を摂り、そして、その後は深夜の十一時迄ご本尊にお経を唱え続ける、と云う生活を過ごし続けておりました。 |
|
城南ペット霊園 〒140-0004 東京都品川区南品川2-7-25 TEL 03-3471-9910(代) |
Copyright(C) 2005-2006 ペット葬儀・ペット火葬の城南ペット霊園 All rights reserved. |