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こちらのページでは城南ペット霊園の住職のコラムを掲載しております。


5月09日


 ここのところ、我が真了寺は忙しいです。特に土曜、日曜日ともなると四十九日忌法要とか年回忌法要とかの予定がほぼ必ず入っていて、寺族四名挙げて汗をかきます。

 今日(五月六日)もその例に洩れません。朝の十時半亡母七回忌の法事があって十五名で来山されお経が終って、墓参のあと出入りの仕出し屋から高級料理をとって食事会が催され、二時半に辞去されました。

  正午からお母さまの壱周忌の法要があり、此方はお墓に詣られてそのまま帰られました。

  その外、四月二日に亡くなられたお宅の五・七日忌(通称三十五日忌)があって、JR蒲田駅隣りの多摩川線「矢口の渡し」下車、徒歩五分程の喪家に約束に 従って午後二時に伺いました。亡夫の奥さんとその奥さんのお姉さん、ご長男家族四名が待っていて、お坊さんのわたしも含めて七名で各自お経の本を手にして 早速法要が始まりました。おとなの五名は勿論仮名付きのお経本ですし、調子もゆっくりですから充分に読み上げられます。しかし、幼稚園児の幼児二人にとっ ては到底読めるものではありません。然し、大人が声をそろえて読んでいるのに合わせて、お経本を小さな両手に持ってワァワァ声をあげているのです。この功 徳はきっと誰のお経よりお爺ちゃんのもとに届いたことでしょう。

  このほほえましい法要の最後にほとけ様の前に進んでお焼香 をするのですが、チャンと金襴の座布団に坐って香を供え、掌を合わせて退坐するのです。都合三十分程のご回向が終って茶の接待を受けて、歓談の後、お宅を あとにして雨の中を自坊に帰り着いたのが三時半でした。

  このお宅のお通夜の日が火葬場の都合で初七日忌の当日だったりした 為に今回を含めて七日法要に四回伺いました。そのかわり三十五日忌の四月まえ最初の月命日が五月二日でしたから、この日は上天気でしたので京浜蒲田駅から 歩きに歩いて、四十分も歩き通して気持ち良い汗をかいて、気持ち良い命日回向を勤めさせていただきました。

  来週がお宅へ訪 ねてのご供養は最後で、その翌る週はお寺にお骨が運ばれて七・七日(四十九日)忌法要が営まれてお墓に埋納されます。 この頃、こんなに丁寧になさるお宅 は極めて稀な例ですが、先日の近所のお寺さんの本栄寺様も欠かさず毎週水曜日の夕方わたくしがお訪ねして寺族七名でご法要を勤めております。

   流石、お寺さまは時流に乗って手を抜くことは致しません。ところでこのお寺の葬儀のその後ですが、前回の文章で申し上げました通り、ご住職から全権を委任 されたわたくしはその日行われた仮通夜の後で普段密接にお付き合いを重ねているご住職様達に集まってもらって会合を持ちました。わたくしから此の度び全体 の会行事(えぎょうじ)、つまり総合執行者が指名され、この住職のもとで諸役が決まり、葬儀社も全面的に指示に随って萬般の準備に入ったのです。


4月12日


翌る六日は八時半に自坊を発って、十一時開式の葬儀に備えました。
前にも書きましたが、斎場は住居から遠く、しかもウィークデーの月曜日であるに拘わらず、会葬者の数は相当のものでした。
故人の日頃のお付き合いと愛娘お二人の真面目な勤務態度と親密な友達関係によるものだ、と感心させられました。
普通の場合で云うと、故人本人がお勤めを定年退職して十数年も経つと、お通夜はそこそこに焼香客は見えても、告別式は親族のみ、その親類も核家族化が進 み,未亡人と遺児数名で、それが広い貸斎場でそこだけがポツンと目立っていやでも悲しい場所が、更に寂しさが増すことも珍しくありません。

 
 筆者は今朝の五時半 電話の呼び出し音で起こされました。云わく「只今、五時二十五分、父が亡くなりました。葬儀の一切をお任せ致しますので宜しくお願いします。」でありました。

病院からの通報だったので、遺骸が自坊に着くには余程の時間が掛るものと見込んで弟子の一人と七時前から朝のお詣りを本堂で済ませ、七時四〇分にその足で距離にして参、四百メートル離れたご自坊の本栄寺さまに伺いました。

亡 くなった方は、このお寺のご先代さまで一歩退って院首(いんじゅ)になられ、、いわば隠居の身で四年前から入退院を繰り返しておられた七十八才の老僧で す。最後に食べた物を誤飲して肺臓に入り、吸引して除去したのですが、これを除ききれずに肺炎を発しての急逝だそうです。筆者が偶々その正午与人(平たく 云えば会社の専務さんと云ったところでしょうか)なものですから、重責を負う羽目になったわけです。

わたしの予測の通りお寺に着いた時に は未だ「遺体を乗せた寝台車は本郷を走っておりますから到着しましたらお電話しますから、一旦お引きとりを」とすすめられたのですが「若奥さん、朝の今の 時間は道も空いていますから間もなく着くと思いますョ」と答えて、そのまま待つことにして二十分程経って寝台車が到着しました。未だ体温も温かい院首さま を奥の室にお寝かせして、近隣の二名のご住職やご遺族と共に、まず枕経の法要を勤め終わると、ご住職から筆者に導師を勤める様に懇請されました。つまり、 このご葬儀の全ての取りまとめと大事な儀式の長を両方共に委ねられるという重責です。

立場上、その任にあり、この辺の住職として年令に不足はないのですから、断る理由もなくお引き受けすることと致しました。その際の条件として、普段平常行き来しているご寺院のご住職たちと一緒に相談しあって、勤めさせていただくことを諒承して貰いました。

今晩が仮通夜で明後日が通夜、翌る日が葬儀の日程に随って四百軒の檀家、勤務時(大学に奉職されていました)の友人や知己・百五十軒からの寺院等への通知状の発送などの種々の準備も粗相なくとり運べるものと信じております。

つい二十年前迄の一般のお葬式も、この通り隣り近所のひと達が集まって、心のこもった準備をして故人を冥界へ送ったものでした。不細工な面も少しはあったかも知れませんが、その分喪家も満足し、その家を暖かく、見瞠め続けてきた人たちも安らぎを得られたものでした。


3月30日


 お通夜に次ぐ翌々日の葬儀・火葬場送りの後の骨上げ。更に斎場に戻ってからの換骨並びに初七日忌法要と続いて、読者のみな様には「随分ご丁寧な」と思われるかも知れません。
今から六十年ほど昔のこの老人が小僧さんの頃はこんなものではありませんでした。

  先ず「死去しました」と喪家から二人の使者がお寺へ知らせに来る、それが夜中の十二時や一時であっても直ぐさま、「枕経」に偏て死者の枕もとで臨終のお経 を唱えます。すると背後では縁者が集まって来て女達は白の晒地(サラシジ)で死出の装束を縫いはいます。手甲・脚絆・白衣・頭陀袋を涙でかすんだ目で心を 込めて仕上げて行きます。

 枕経を終った小僧さんは(実はこのお経に行くのは小僧さんの役目でした)、一旦お寺へ引き上げますが死に装束は明日の納采に間に合わせなければなりませんから、縁者のご婦人方は大変です。

  翌日小僧さんは師匠に随身して、また喪家に向かいます。師匠は慣れた手付きで毛筆で死に装束の一つ一つに定められた経文を書き込みます。書き上るのを待つ 間に死者の身を清めるのは同性縁者の仕事でした。お坊さんに依って経文の書かれた衣装を着せれた遺骸はお棺に納められます。その間小僧さんは何をしている か、と云うと一辺二センチ程で長さ一メートルの棒に半紙を何枚か繋いだものをタテに半分に折り、その半面を二センチ程の間隔で鋏入れて、これを先程の棒に 巻き付けて二本作ります。花瓶に立てると沙羅双樹の出来上りです。こんなことをして、祭壇の準備をします。

 部落の近所の男衆は手際よく 棺を安置し、供物を並べる等してお通夜式を迎える迄の段取りを整えます。ご近所の女衆は、と見れば全員白い割烹着を付けて野菜を切るあり、米を研ぐあり、 味噌汁の準備をするあり、文字道り隣り近所・親類縁者一丸となって死者を送るために没入していたものです。
 
 扨て通夜式が始まる直前、 高札を小型にした七本塔婆にお題目と菩薩の御名を書き入れ、長さ二メートル、幅十センチ程の板木にお題目と新ぼとけのお戒名を墨書し、木製の骨箱に経文を 書き入れてから通夜のお経に取り掛かります。一時間はタップリ読み続けて終わりますと、尊師をお勤めした師匠がお詣りにかけつけた人びとの方に向きを変え て三十分は掛かりましたでしょう。「通夜説教」でおシャカ様のみ教え、本日の故人の事蹟などをおはなしして、終るとご近所の奥様総動員してのお料理をいた だき、お酒をいただきますが大勢の人達はそのまま一晩中ローソクの灯が消えないようにお線香が絶えないよう、翌日迄夜どおしして故人の冥福を祈ったもので した。




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